明るい未来のためにやらなければいけない、たった一つのこと
人類の脳のOSをバージョンアップさせよう !
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徳永真亜基・東京・60歳

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 明るい未来のために(7)‥‥分身主義の方法論(その最初の一歩)

パソコンは時代に合わせてバージョンアップさせるというのに
人類の脳のOSは相変わらず旧式のままです。
科学時代に合わせてバージョンアップさせましょう!
そうすれば、世界はガラリと明るく美しい色に塗り替わります。
撮影:徳永真亜基(エクアドルにて)



前回、現象学の方法論を確認しました。何故そんな話を聞いていただいたかと言うと、分身主義の方法論(と言っても当たり前の科学の方法論のことなんですが)と対比していただきたかったからです。
現象学の方法論の出発点は、「誰もが主観を持ち、その主観の中でものを考えていてそこから外へ出られる人はいない限り、自分の認識が『客観』に一致しているかどうか『主観』にはけっして確かめようがない。そこで、『客観それ自体が存在する』という前提をいったんエポケー(中止)して、論理上は独我論的な主観の立場を出発点にするほかない」と考えたのでしたね。

私が現象学を知ったのは今年(2011年)の5月に、白樺教育館の館長、武田康弘先生(私より五歳年上の方)とネット上で話をさせていただいた時でした。この素晴らしいるいネットにたどり着くまでに、(msg: 257792)迷走を続けていた最中の出来事です。世界を平和にしたい、未来をもっと明るく希望の持てるものにしたい、という一途の思いで、15年以上も、マスコミ、学者、平和活動家、友人、知人、掲示板、SNS‥‥と、様々なところに、せめて私の話だけでも聞いていただこうと働きかけてきたのですが、皆さんそれぞれご自分のことでお忙しいようで、あるいはご自分の立場を守ることで一生懸命なようで、私の話など聞く耳を貸してすらいただけないような状態でした。それで若気の至りで(と言っても私はもうそんなに若くはないのですが)面識もない武田先生に食ってかかるという無謀な行動に出てしまった時のことです。その時の武田先生とのやり取りはこちらに残してくださっていますので、時間がある時にでも見ていただけたらと思います。
リンク
(ただし、バックが緑で文字が白なので読んでいると目がチカチカして疲れてきます。読んでいただける方は、ワードやメモ帳などの白いバックのものにコピー&ペーストしてから読んだ方が目が疲れませんよ)

面白いことに私の自分探しの方法論は、フッサールさんとは真逆でした。

現象学では、「自分の認識が『客観』に一致しているかどうか『主観』にはけっして確かめようがない」と言いますが、確かめるまでもなく、現代科学では、もうはっきりと結論が出ていたのです。「絶対に一致しない」という結論です。それは近年になって脳の研究などが飛躍的に進んだことによって解明されました。

それを知るために、人間の五感(視・聴・嗅・味・触)はどのようにモノを捉えていたのかを見てみましょう。

まず最初に我々の視覚を考えてみます。モノを見るというのはどういうことでしょうか? 我々は真っ暗闇の中では当然モノを見ることができません。モノを見るとは、光源(太陽や電球など)から発せられた光の粒子がモノに当たり、その反射した光の粒子が我々の眼球の水晶体というレンズに到達するところから始まります。それが眼球の網膜に映され、この網膜にある視細胞で光の情報が電気信号という全く別のものに変換されます。次にこの電気信号は視神経に送られ、脳の中央辺りにある視床(ししょう)という部分で情報の分析や整理が行われた後、後頭部に位置する大脳皮質の視覚野へと伝わります。
この視覚野で、情報が色や形、明るさ、動き、模様、位置などいろいろな面から分析され、連合野と言われる部分に送られていきます。連合野はその働きの違いによって五つの部分に分けられています。と言っても学問上、便宜的に五つに分けているだけで、本当はつながっていて各部が連携して働いているわけですが‥‥。
これらの場所に至ることで、単なる光の粒子という情報(=刺激)が、認識という高いレベルの精神的な働きにつながっていき、その後の行動や思考が生まれると考えられます。
モノから跳ね返った光の粒子は、全てが水晶体というレンズを通過するわけですが、我々は全てのモノを認識しているわけではありません。例えば私たちは常に自分の鼻やメガネは視界に入っているわけですが、それを意識することなどありません。その人の関心のないものは認識に至らないのは、この連合野に到達するまでに不要な情報としてカットされてしまうからです。逆に言えば、我々はその都度、自分の関心のある物を選択して見ているという言い方もできそうです。

これらのことからわかることは、我々が何かを見るということは、モノそのものが目の中にそのままの状態で飛び込んでくるわけではなく、電気信号に変換されたものが、記憶や言葉などを経過して、初めてモノを認識したと言えるということです。
言葉を持たない動物が何かを認識したというように言えるでしょうか? 彼らは認識とは無縁で、ただモノに反応しているだけです。認識とは人間だけが行うもので、必ず言葉を伴うことになります。
人は、同じ月を見ても、決して同じようには見ていません。例えば月を見た時に、かつて月を一緒に眺めた別れた恋人のことを思い出して泣いてしまったり、今日の月は寒いなあなどと感じたり、あるいは月を無機質な岩石の塊のような見方をする人もいるかもしれませんし、月を神様に見立てる宗教があるとすれば、その信者たちにとってみれば、月を見ると身体の芯から力がみなぎってくるかもしれません。‥‥人それぞれの月を見ているわけです。

我々は同じ月を見てもそれぞれが違う月を見ていたということは、実はとんでもないことだったんですよ。(つづくリンク
 
9/4 0:38 │ コメント(0) │ トラックバック(0)
 

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>主観を一旦エポケーしたところから入って (山澤貴志)
山澤さん、非常に有意義な意見ありがとうご (徳永真亜基)
徳永さん、こんにちは。ブログ拝読しました (山澤貴志)
>>主体と外部世界の線引きすら流動的 (山澤貴志)
> 主観−客観という概念自体に無理がある (徳永真亜基)
少し、誤読があったようで、申し訳ありませ (山澤貴志)
山澤さん、初めまして。 るいネットとい (徳永真亜基)
デカルトだけでなくフッサールの間主観性す (山澤貴志)
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