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「官から民へ」はなぜゴマカシか?
雪竹恭一 38 大阪府 営業 05/12/03 PM10
「民営化すれば市場が活性化する」という理屈は、性闘争⇒自我・私権闘争の活力を根拠にしている。性闘争⇒自我・私権闘争が活力源であるが故に、その活力を生かすべく自由な市場競争に委ねれば、市場は活性化するというわけだ。

しかし、本能を直撃するような生存圧力を克服し、もはや性闘争⇒自我・私権闘争は活力源ではなくなってしまったという現実を直視すれば、民営化はその理論的根拠を失っていることに気づくであろう。民営化が市場の活性化に結びつくのは、性闘争⇒自我・私権闘争が活力源である限りにおいて予測できることであって、その根拠である現実を捨象して、「民営化すれば市場が活性化する」と叫び続けるのは、ゴマカシ以外の何ものでもない。現に、これまでも様々な民営化や規制緩和、市場開放の施策は打たれてきたが、根本的なところ、市場が活性化して拡大するような気配はない。

例えば、建築物の計算書偽造問題にしたって、元をたどればアメリカの圧力によって建築基準法が改正され、規制緩和⇒民営化されてきたことに起因するが、建設業界が活性化する気配は全くない。それどころか、民営化⇒市場原理に委ねれば上手くゆくかのようなゴマカシをゴリ押ししてしまったがために、別の問題を引き起こしてしまった事例であると言ってもいいと思う。

別の問題とは、「市場はそれ自体では統合機能を持たない(msg:31251) 」という問題である。統合機能を持たない市場(民間)に権限だけを委譲すれば、今回の事件のような闘争圧力の抜け道としてのゴマカシや責任逃れが横行するのは必然である。言うまでもなく、官の権限には、その裏返しとしての統合責任が伴う。そして、この統合機能⇒統合責任は結局官が担うしかない。民営化して市場(民間)に権限を委譲したところで、市場(民間)には責任をとれる力(統合機能)はないから、結局は官が監督指導責任を問われることになる。

社会の統合は誰が担うのか?という本質論を抜きにした民営化論議は、ゴマカシそのものである。そのようなゴマカシの民営化論議が横行するが故に、社会は統合機能を失ってガタガタになる一方であり、今回の事件のような不祥事は増える一方であろう。

前段の話と繋げれば、「もはや性闘争⇒自我・私権闘争は活力源ではなくなってしまったという現実を捨象し、社会をどう統合するかという本質論を棚上げにした民営化であるが故に、市場は活性化することはなく、逆に一部に残されている自我・私権派(国家というモチに寄生するカビ)がはびこるばかりである」というのが事件の真相であろう。このようなゴマカシが蔓延するのは滅亡の構造そのものである。「

官から民へ」という論議は、本質的には、「自我・私権闘争に代わる活力源をどう考えるか?」「社会統合は誰が担うのか?」といった観点から省みられる必要があると思う。
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