173487 ・社会統合 ・仕事・起業・共同体 ・認識論 ・市場時代 
金融資本家は現代の裸の王様
辻一洋 42 北海道 企画 08/04/04 AM10
>90年代以降、経済のグローバル化と金融支配が進み、社会格差の拡大が嘆かれ、現在はドル暴落による金融恐慌の不安が喧伝されている。共認充足の可能性が開かれた時代である筈にも関わらず、世界はむしろ私権闘争が拡大・激化し、その支配力が強まっているようにも見える。

しかし、もう一度改めて考えてみると、金融支配だ、格差社会だ、原油高騰だ、ドル暴落だと幾らメディアで騒がれても、庶民の方は実はそれほど実感があるわけではない。漠然と何か不味そうだとは思いつつも、貧困の時代のような追い立てられるような危機回路の作動は無く、実際の日々の生活に大して変化があるわけでもない。これはどういうことか?<msg:172981

金融支配の発端は大衆がモノを買わなくなったことにある。それが市場の縮小を招き、市場拡大を続けたい国家が金をばら撒き続けた。
しかし、大衆は受け取る金額ほど、お金に価値を見出さなくなった。使い道のない金は預貯金となり、金余りを生み出した。

にもかかわらず、未だに金に執着する金融資本家たちは、大衆の余った金をかき集め、株式や先物市場といった金融市場へと大挙して参入し、80年代、金融市場は本格化していった。
バブル以降、大衆はますます金(の価値)を捨て、一方、金融資本家たちは資金力にモノを言わせて金融支配を強固にしていった。
これが田中氏が幻想と称した金融支配のからくりである。

大衆が見捨てたお金(それは既に紙屑に近い存在である)を身に纏い大騒ぎしている金融資本家とはまさに裸の王様なのだ。

ソ連崩壊のルーブル暴落時、ソ連と日本の間では蟹と中古車との物々交換が続いた。為替がどうであれ取引が続くのが実体経済であり、為替や株式が暴落しても致命傷は負わないのだ。もし取引が成り立たなければ、その商品は本来不要であったというまでだ。

ドル崩壊とは最後に残った金融資本家たちでさえ、お金そのものが紙屑だと気づき、一人二人と幻想市場から現実の共認社会へと移行する過程なのではなかろうか。
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