18592 | ・社会統合 | ||||||
転換のために | |||||||
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私権時代の終焉とは単に豊かになったことによる活力の衰弱ではなく、その羅針盤となる「己の欲するままに」と言う価値観も見失ってしまったということでしょう。 私権時代の価値観念や規範が輝きを失うとはこういう事を言っているのだと思います。 そんな世の中において、自らの生き方の羅針盤とも言うべき価値観を見失った我々は原猿時代の猿よろしく周囲の人間の行動を羅針盤として見ているが故(そこに価値を見出しているが故)に、仲間収束の過程にあるのだと思います。しかし、これまで形成してきた(輝きを失ったはずの)旧価値観を否定されたくないと言う意識から、旧価値観の共有の出来る相手を選んで(好んで)収束しているようにも見えます。 誰しも「自分」を中心とした課題には全く活力が湧かないことは自覚しているし、仲間との関係性にこそ価値を見出しているにもかかわらず、旧価値観を温存している人がまだ多数派のようです。 私自身もそのような人間の一人であるためなんとなくわかるのですが、旧価値観を捨て去ることにはある種の「恐怖感」があるのではないでしょうか? この「恐怖感」には前述の展開から言えば何の根拠もないはずなのに.... この掲示板で議論されている「全否定」と言うことはこの「恐怖感」には何の根拠もないことをひとつひとつ噛みしめていくことに他ならないように思います。 そして、このことは、様々な課題を協働することで充足を得ることと同義だと思います。 充足型と言われる人たちは、そのような「恐怖感」から無縁な人たちであるが故、素直に価値転換の出来る人たちなのでしょう。 |
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