258006 ・社会統合 ・認識論 
分身主義を提起します(1)
徳永真亜基 54 東京 11/10/26 AM10
> ところで、最近の言い逃れの様な「相手の尊重」という個人主義の言い分ですが、いったい大切なのは自分なのでしょうか?相手なのでしょうか?それとも自分と相手がイコールの比重を持つのでしょうか?もし、自分と相手がイコールの比重を持つとすれば、その主体はもはや自我では在り得ず、(当然、個人という観念も消えて)全く新しい概念が必要になりますが、それは何なのでしょうか?

個人主義に代わる全く新しい概念として、私はここるいネットに「分身主義」というものを提起します!

るいネットでは、個人主義やその核心を成す自我というものがどうやら社会を良くできない原因であると気づいている人たちが多いようです

だからと言って「じゃあ、みなさん個人主義をやめましょう!」などと呼びかけてもどうなるものでもありません。「個人主義」などというものは、そもそも動物の中で唯一自我を持ってしまった我々人類が、自分の行動パターンを正当化するための詭弁でしかないからです。自我という観念が自分の中心にどっかりと居座っている以上、誰もが自分中心に世界を見ますし、自分が一番大事です。そこから出てくる行動パターンはみんな似たり寄ったりです。

だから個人主義という正当化をしなければならなかった人たちは、うまい言い逃れでも作らない限り、自分の行動に対して肯定できないものをどこかに感じている、むしろ倫理的な意識の高い人たちとも言えるのではないでしょうか? 

・個人主義は自分勝手とは違い、一人一人の個人を尊重する思想である。
・一人一人かけがえのない存在であり、その個性を尊重する思想である。
・だから、自分だけでなく、他人も一個人として尊重するものである。
・他人に依存しない、真に自立した生き方を目指すものである。

魅力的な方便を作り上げたものです。この方便のうまいところは、「個人主義は私のことも尊重してくれるんだ」と思わせてくれるところです。自我という観念に取りつかれた我々の脳をうっとりさせてくれます。しかし、自我という観念に取りつかれた我々の脳が関心があるのは自分だけであり、他人への「無関心」を「尊重」と言い換えているだけです。その反対の、他人への「関心」や他人への「愛」も、煎じつめれば「自分への関心」や「自分への愛」が変化したものでしかありません。
その証拠に、他人に注ぐ関心や愛も、相手が関心や愛を自分に返してくれなかった場合、激しい憎しみに変化してしまいます。
それに自立などと言っていますが、この社会で成功して自立していると言われている人をよく見てみれば、実は他人の力を借りるのがうまい人たちで、彼らこそ他人に依存して生きているということがわかります。身障者と言われる人たちがなかなか自立できないのは、彼らが他人に依存しないで生きなければいけないというような固定観念を小さい時から植え付けられているからです。

こんな脳を持つ我々人類が、社会を良くできないのは当然のことです。
では人類がそこから抜け出すためにはどうしたらいいのか?

私は「科学」がそのカギを握っていると考えます。
現代科学では、我々の自我とは、神経系(脳や脊髄の中枢神経と、全身に張り巡らされた感覚神経・運動神経・自律神経などの末梢神経の総称)が見ていた全くの錯覚だったとわかっています。現代科学が解明しているものをつなぎ合わせて整理していくと、「自分」とは、かっちりとした境界線を持って孤立的に存在できるようなものでは全くなく、また自由な意志で行動することなど一瞬たりともできる存在でもなかったことがわかってきます。

その科学が解明している事実を、人類の脳に上書きすることができれば、自ずと今までの内側に向いていた自我が、外に開かれたものとなり、みんながつながり、行動パターンも社会を良くするものに変化するはずです。その科学が解明している事実を整理してたどり着いた視点に対して、私は「分身主義」と名づけました。


分身主義というのは、2003年5月13日に、私が名づけたものですが、その説明をさせていただきます。
まず、「○○主義」と言っても、個人主義に対抗して「分身主義」と名づけただけの話で、別に主義でも主張でも、まして思想でも何でもありません。また、個人主義に対抗してと書きましたが、個人主義を否定するものではなく、結果的にはむしろそれが拡大されることでその欠点を乗り越えたものです。今までの自我を修行などを通して滅却させるのではなく、自我が拡大したことで、今までの自我が自然消滅するというパラドックスが起こります。
内実は、科学の解明している事実をつなぎ合わせて自分探しをして行った先に見た、真実の自分の姿のことです。そしてその自分が見る視点(思想ではなく視点)が分身主義です。つまり、真の科学が見る視点のことです。その視点を世界中の人が持てるようになるために、一時的に必要とされた名前なので、もし世界中の人がその視点を持てた時には、分身主義などという紛らわしい言葉はなくなって欲しいと考えています。何故なら、主義でも主張でも思想でもない、単なる視点なのですから‥‥。

現代では、この宇宙は超高温高密度の小さなビッグバンから生まれたというのが大方の科学者の見方のようです。それが急膨張することで温度が下がり、その内部に存在している素粒子がくっついて、いろいろに組み合わせを変化させたり、リサイクルを繰り返したりしているだけで、物質を構成する原子の総数は、この宇宙の内部では決して増えもしないし減りもしない‥‥というのが現代科学の解明した宇宙の姿です。そんな宇宙の変化している過程で一時的に現れては消えている 「現象」 を私たちの神経系が捉えて、それを星や月や太陽や地球や、そして花や木やあなたや私と識別しているだけです。この宇宙に存在する私たちはみんな、素粒子が作り出す一時的な現象だったのです。だから、この宇宙に存在するあらゆるものは、元々はビッグバンから分かれた身(からだ)、つまり分身だと考えるのが分身主義の「分身」の意味です。

この意味が理解できれば、「私たちは、この宇宙の部分であり全体でもある」という分身主義特有の視点(真の科学の視点)も理解できるでしょう。
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