260838 ・社会統合 
人類はフライパンの中のチャーハンをいつまで混ぜ続けるのでしょうか?@
徳永真亜基 55 東京 12/01/25 AM11
◆◆明るく希望の持てる未来のために、外にばかり目を向けて批判や応援をしていないで、今こそ自分に目を向けましょう! 『閉塞の元凶である個人主義』(http://www.rui.jp/ruinet.html?t=100&o=10020&k=0#2772)は、錯覚の自我が作り上げていたのです◆◆

> 今、るいネットでも、事実を駆使して、現実の問題に答えを出そうとしています。
> 中身の追求に入りませんか?(msg:258325)

ご意見、ありがたく拝聴いたします。反論、異論大歓迎です。それは変化を生み出す力になるはずです。せっかくありがたいご意見を頂けたので、その先に踏み込んでみたいと思います。
実は私もこの「中身」という言葉、今までチャーハンの比喩でよく使わせていただいていたのです。今、人類がやっていることは、フライパンの中のチャーハンをせわしなく混ぜ返しているようなものです。そのたびに中の様々な具が見えたり隠れたりしている状態を想像してみて下さい。私たちのやっていることと言ったら、自分の気に食わない具が見えると文句を言い、自分の好きな具が見えると喜んで応援したりつまみ食いをしているようなものなんです。

自分の損になるものなら批判や糾弾をして、その逆に自分の得になるものならなるべくばれないように美味しい思いをしようとしているようなものです。そして同じ美味しい思いでも、その仲間たちと「美味しいね」と言いながら食べればもっと美味しくなるし、「美味しいね」と言いながら食べている仲間同士の間では、なんだかとても健全で良識あることをしているような錯覚ができます。それは悪いことでも何でもなく、むしろ仲間同士の心の健康には役立っているかもしれません。でもその人たちが美味しいと感じていても、とんでもなく不味いと感じている人たちも必ずいます。その人たちから見れば誤魔化しであったり不公平や不正義であったりするわけです。
それがこのチャーハンの比喩で言いたかったことです。

チャーハンの具は何の比喩かと言うと、人類が作り上げたり育てたりしている様々な文化であったり、あるいは我々の取り得る行動一つ一つであったり、要するに人類の営み全てを指しています。そして、フライパンとは、それら全てを外側から規定している枠組み、つまり我々の「錯覚の自我」を指しています。あるいは「錯覚の自我」が作り上げている「個人主義という環境」だと思っていただいてもいいです。このフライパンの中でチャーハンを混ぜ返している限りは、その中身の具が上になったり下になったり左右が入れ替わったりしているだけで、根本的には何一つ変わることはないのです。

このチャーハンの比喩でもっと強調したかったところは、チャーハンはいつまでも混ぜていては初めは新鮮に見えていた具も、やがては焦げ付いてくるということです。
今まさに、この世界は、人類が混ぜ続けたチャーハンが焦げ初めて黒ずんできている状態です。

このるいネットに参加されている感度の良い方たちなら、それを薄々感じているはずです。

例えば自民党だ民主党だと互いをつつき合っている現状を見て下さい。日本だアメリカだ中国だ韓国だと、自国の利益を巡って言い争っている様を見て下さい。まさにこの「フライパンの中でチャーハンを混ぜ返して上下左右を入れ替えている比喩」が当てはまります。
自慢じゃないですが、私は55歳になる今日まで(ちなみに今日1月25日は私の誕生日です)一度も投票に行ったことがありません。それは投票に出かけるのが億劫だからとか、そんなことより自分のやりたいことに時間を使いたいとか、世の中がどうなろうと関心がないからとかいうことではありません。全くその逆で、世の中を根底から良くしたいと思っているからです。でなければ、今こうしてるいネットに参加などしていません! 私が投票に行かない理由は、「フライパンの中でチャーハンを混ぜ返して上下左右を入れ替えようとしている」ことに、どうしても手を貸す気持ちになれないからです。人類が今のフライパンの中に置かれている限り、誰に投票する行為もその中の具の一部を応援するようなもので、それこそ不公平に手を貸しているような行為だとわかっているからです。

オレオレ詐欺などというものが現れた時、人々はびっくりしたと思います。なんであんな子供だましなことに引っ掛かるんだろう、と呆れて笑ってしまった人たちもいたはずです。自分はそんな馬鹿じゃない。自分だけは引っ掛からないと‥‥。それでも引っ掛かる人たちが後を絶たないと聞いて、各メディアはこぞって大衆に注意を呼びかけました。
その結果、氷に熱湯をかけるように跡形もなく融けてしまったかと思いきや、被害はなおも拡大していると聞き、開いた口がふさがらない気持ちです。

だけど、開いた口がふさがらない人たちも、実はとっくにオレオレ詐欺に引っ掛かっていたんですよ!

それは選挙です。候補者は誰でもその場ではうまいマニフェストを掲げますが、それに引っ掛かって投票し、後で約束は覆されて「ああ、騙された」の繰り返しです。だけど、候補者が魅力的で過大な公約を掲げるのは当然のことです。「あれは約束できません。これも約束できません。でもお金と名声が欲しいので政治家になりたいのです。だからよろしくお願いします」などという正直者の候補者は政治家にはなれないからです。実際に、今の世の中を変えなくてはと理想に燃えて政治家になろうと思った人も、政治家になってみれば、いろいろなしがらみがあって思い通りにできないという壁にぶち当たるでしょう。そこに、思わぬところから裏金なんかが入ってきて、それを拒否するのもできない状況に立たされていたりすると、公約は空気に触れた綿菓子のようにしぼんでいくのも当然の話だったのです。

これを詐欺と言うのもあんまりですが、当選するために巧みに魅力的な公約を掲げる人も、それに乗じてうまい汁を吸おうと投票する人も、詐欺が成立する精神構造と全く同じです。「今度こそ信じてみよう」「ああ、また騙された」。それを飽きもせず何年も何年もみなさんは繰り返しているのですよ。しかしメディアは大衆に注意を喚起するどころか、逆に「みなさん投票に行きましょう!」と煽っています。オレオレ詐欺に引っ掛かり続ける心理が理解できないのと同じように、人々がこの矛盾に気づかないということが、私には不思議に思えて仕方ありません。

だから私は自慢じゃないですが、55歳になる今日まで一度も選挙に行ったことがありません。いえ、正直に言わせていただけば、今では一度も行かなかった自分を何よりも誇りに感じています。

だいたい、このフライパンの中でチャーハンを混ぜ返しているだけの今の人類には、万人が満足する、万人に公平な政治など絶対にできるはずがありません。

(人類はフライパンの中のチャーハンをいつまで混ぜ続けるのでしょうか?Aにつづく)
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