261587 ・社会統合 
それでもあなたは”事実”から目をそむけますか!?@
徳永真亜基 55 東京 12/02/21 AM10
★★錯覚という砂の上にどんなに立派な建物を建てても、人類はいつかは足もとをすくわれます!★★


「それらを導いてきた常識群の根幹部が(従って、大部分の常識が)根本的に間違っているからだと考えるしかありません。おそらく人類は今、全文明史を覆すほどの大転換期に入ったのではないでしょうか(「大転換期の予感と事実の追求」msg:967)」
「固定観念に囚われることなく事実を素直に認める柔軟な頭と、大胆な仮説の提起が何よりも大切になります(「同上」msg:967)」

素晴らしい言葉です。私をこの場所に導いて下さった言葉です。

実現論000705にも次のように記されています。
「万人を導く統合理論も、志ある人々の協働によって、進化しつづけてゆくべきものであり、その為にはこの統合理論はあらゆるイデオロギーから脱却し、確かな事実だけに立脚した科学的な理論体系でなければならない」
私はここるいネットで、何度もこの力強い言葉を引用させていただいてきました。

しかし人々は、科学的に実証されている事実にしっかりと向き合おうとしません。だとしたら「確かな事実だけに立脚した科学的な理論体系」など望むべくもないじゃないですか!? 
例えばあなたは、「我々は自分の意思(注:ここでは意思と意志を明確に区別せず用います)で考えたり行動したりしていたのではなかった」という科学が解明している事実をご存知ですか? あなたは「知らない」と答えると思います。知らされていないから知らないのか、知ろうとしないから知らないのか、おそらくその両方だと思います。

学校ではそんなことはまず教えません。自分の意思で考えたり行動したりしていなかったとなると、現行の人類の社会ではいろいろと厄介な問題が生じてしまうという杞憂が先立つからです。それでなくても、今まで、自分の頭で考え自分の意思で行動するように学校の先生は指導してきたのに、いきなり手の平を返したように、「科学では、そんなこと絶対にできるわけないことを実証していました。ごめんなさい」などと言えるはずもありません。そしてその言葉に付け加えて「だけど私が今語っている言葉も、私の意思で語っているわけではないので、私に責任はありませんが‥‥」などと言ったとしたら大混乱になることが予想されます。

しかし順序を踏めば混乱に陥るどころか、今まで人類がどうしても解決できなかった様々な問題まであっさりと解決でき、人類が今まで願ってもどうしても叶えられなかった、本当の幸福と平和がやってきます。それにはまず初めに、我々の「自我(=これが自分であると我々が信じているところのもの)」は神経系の見ていた錯覚であって、実は、自分とはこの宇宙そのものだったという科学的視点に立った理解が先になければいけません。つまり、根底に錯覚の「自分」がどっかりと居座っている今の我々だから、「自分は自分の意志で行動していたわけではなかった」という事実を突き付けられたら混乱に陥ってしまうだけなのです。
神経系の錯覚であった自我に気づくことを、私は科学的覚醒、あるいは脳のOSのバージョンアップと呼んでいます。人類の「全文明史を覆すほどの大転換」は、それらを成し遂げた先にしかあり得ません。それができないうちは、いくら我々が大転換を成し遂げたと思っても、実は同じフライパンの中のチャーハンの具の上下左右を入れ替えただけだったと、いずれは気づくことになるでしょう。(「人類はフライパンの中のチャーハンをいつまで混ぜ続けるのでしょうか?@」msg:260838)

インターネットが普及している現代では、「今までの” 自分”とは神経系の見ていた錯覚であった」ということや、「我々は自分の意思で考えたり行動したりしていたのではなかった」という科学が解明している事実を知る機会は開かれているはずですが、AKB48や韓流スターには夢中になれても、そのようなことを知りたいと夢中になる人は現代ではあまりいないに違いありません。何一つ現実的なメリットを想像できないから夢中になれないのでしょう。
それをすることによって、将来、貰える年金の額が二倍になるなどということなら誰もが競って科学的事実を知ることに夢中になりそうです。しかしメリットがあろうがなかろうが、本当に科学がそのことを解明しているのだとしたら、我々はまずその事実にしっかりと向き合うべきです。このるいネットでも岡田淳三郎さんが口を酸っぱくして言っているように、「誤魔化しの弥縫策や小手先の方法論で取り繕ったり」せずに、その場所から始める勇気を持つことです。


1979年、ベンジャミン・リベットさん(アメリカの神経生理学者)たちが、自由意志をめぐる興味深い実験をしました。
被験者は頭皮に電極をつけ、自分が好きな時に指を曲げるか手を動かすかすることにします。動作を行うということは、脳内に電気が発生しているわけで、それを捉える脳波計は、動作が行われる時点を正確に記録するはずです。同時に、被験者は自分がいつ指を動かそうと思ったのか記録しておくことにします。その結果、面白いことがわかりました。

被験者が指を曲げるか手を動かそうと決める「前」、その約0.3秒前に神経系の動きが観測されたのです。この実験は、「決意の意識(=意志)」が発生する前にまず神経回路網が活動を開始し、その後で「決意の意識(=意志)」が発生することを示しています。「意志」が発生する前に活動を開始するこの奇妙な脳波は、“準備電位”と名づけられました。

この実験結果は、人によっていろいろな解釈がなされるかもしれません。しかし、この実験が示している事実は唯一つです。「決意の意識(=意志)」を自由意志と呼ぶとしても、その自由意志と呼ばれるものは、約0.3秒前の神経系の働きによってもたらされていた、という動かしがたい事実です。言い方を換えると、私たちは、神経系の働きによって浮上させられた意志によって行動をさせられていたにもかかわらず、脳は、さも自発的に行動を起こしたかのように後づけで認識していたということです。指は曲げようと思ったから曲がったのではなく、脳が無意識のうちに指を動かす準備を始め、それにつられて指を曲げようとする決意(意志)のようなものが生まれていただけだったのです。

この実験は、他の科学者によっても追試され、同じ結果が出ています。リベットさんたちの実験に冷めた目を向ける科学者がやってみても、結果は同じでした。と言うよりも、この実験を行ったリベットさん自身も、その結果に不服だったようです。彼はその後、「禁止権説」なる救済案を考え出したりしているからです。これは、自由意志は無意識からの命令に服従している間は出番はないが、0.3秒の間に無意識からの提案を退け、無意識が勧める決定を拒む時にのみ機能するという説です。この「禁止権説」は、よく考えればわかりますが、明らかに彼の願望が生んだこじつけです。にもかかわらず相次ぐ科学者がこの説を採用しているところを見ると、科学者という人たちは、よっぽど「自由意志」がないと困る人たちのようです。
 

(それでもあなたは”事実”から目をそむけますか!?A につづく)
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