262725 ・国家時代 
本当の科学の視点で事実を共認しない限り、世界は一つになれない@
徳永真亜基 55 東京 12/04/04 AM11
『msg:178714 単細胞の同類間情報伝達:クオラムセンシング』とても興味深く読ませていただきました。

「クオラムセンシング」とは、どのような機構かというと、「ホルモン様物質(クオルモン)のやりとりによって、細菌が自分と同種の細胞が周辺にどれくらいの数、密度で存在しているかの情報を感知し、その情報に基づいて特定の物質の産生を行う仕組み」のことだそうです。

科学は、自然界の仕組み(つまり、ある現象が起こる原因を知ること)を、極大から極微に渡り、しかも深く深く入り込んで解明してきたのですね。科学者の方たちの飽くなき好奇心と不眠不休?の努力の賜物です。この地球上に、私のような怠け者ばかりだったら今世紀においても、人類は未だに神話の世界に生きていたことでしょう。まあ、それならそれで結構なことなのですが、良い悪いは別にして人類は科学的解明に踏み出してしまい、現在、科学がもたらしてくれた様々な恩恵にあずかり、また科学によって作られた機械や道具類に囲まれて生きているのですから、その流れに逆らう方が無理というものです。しかし、今では科学のおかげで世界が一つになれる可能性まで見えてきているのですよ。好奇心旺盛で粘り強く決して諦めない、誇るべき「我らが分身」さんたちに感謝しましょう!

遠い昔、人類は不可解な自然現象に対して、例えば地震や、雷や、火事、親父(←これは違った)などに対して、神の怒りなどのせいにしてきましたが、今ではほとんどの自然現象が科学によって解明されたことによって、「神の怒り」などは科学が解明できていないことに対して、一時的に自分たちを納得させるために作った物語に過ぎなかったことがわかってきました。
心霊現象や超常現象などと呼んでいるものも、実は、まだ科学が解明できていないことに対して、我々が一時的に付けている名前に過ぎません。もちろんUFO(Unidentified Flying Object未確認飛行物体)も、その物体の素性を科学が解明すればUFOという言葉では呼ばれなくなります。

さて本題に入ります。
私がここるいネットに参加させていただいた理由は、「実現論」の目指している方向性は、私の目指している方向性とまったく同じだと感じたからです。「実現論」の中の一つ一つの言葉を、逐一「その通り!」と、大きく頷きながら読ませていただきました。


「我々は、厳しい現実課題を対象とする長年の会議経験の中から、合議体制(ひいては真の民主社会)を実現するカギは、論理が整合する事実の共認にあることを、体得してきた。なぜなら、事実は一つであり、かつ誰もが認めることのできるものだからである。(以下略)」(jgr:090107)

「個々の即自的な価値観念(頭の中に内在する本源価値を言葉化しただけの、古代宗教や近代思想)では、相互対立を孕んで統合できないことは明らかであり、諸々の思想=即自観念を超えた事実の体系こそが、万象を照らす鑑となり、社会統合の要ともなる。(注:現在、社会科学と称されているモノは、究極の所、ドグマを固める為のニセ科学に過ぎない。自由、個人、権利、市場原理等、学者やマスコミが拠って立つ根本の概念は、どれを取っても、それが生物史上あるいは人類史上の基底事実であると言える様な根拠が全くない、単に「そう思っていたほうが、都合が良い」というだけの欺瞞観念であり、とうてい科学と呼べるような代物ではない。)」(jgr:090706)

つまり、本当の科学と呼べるものだけが「たった一つの事実」に触れることを許された手を持ち、その「たった一つの事実」を世界中の人々が共認することで、我々は、人類史上かつて成し得なかった統合(=平和)へと踏み出すことができると解釈できると思います。
しかしこの世の中には、科学というのは名だけで、「そう思っていたほうが、都合が良い」という欺瞞観念に科学を利用しただけの「事実の歪曲」であふれています。
と言っても問題の根っ子はかなり深く、当の科学者たちも「事実の歪曲」であることに気づいていなくて、それが本当の科学であると信じています。そんな状況ではいつになっても、「個々の即自的な価値観念」の数だけ科学的な事実が登場してしまい、統合など夢のまた夢です。

だから、私はここるいネットで声を大にして、そしてこれからも何度でも繰り返して、本当の科学、本当の科学の視点を訴え続けて行きたいと思います。

本当の科学の視点とは、今回はまず次の2点を強調しておきたいと思います。

(1)本当の科学の視点とは、この宇宙のあらゆる現象には目的も理由も存在しない、と考えるものである。
(2)本当の科学の視点とは、この自然界には適応していないふるまいをするものなど一切ない、と考えるものである。

まず(1)から説明します。
目的や理由とは人間だけが後から付け足すアイデアであって、科学が解明したどんな事実に対しても目的や理由を付けてしまったなら人間中心の解釈になってしまい、「自然界中心の本当の科学」ではありません。
このことをよく理解した上で、岩井裕介さんの引用部分をもう一度点検させていただこうと思います。

「バクテリアは『言葉』の代わりに『オートインデューサー』と呼ばれる化学物質を使って相手とコミュニケーションをとっています。仲間が周りに集まったことを察知して一斉に行動を起こすのですが、病原性菌の場合、毒素の放出などの病原性因子を制御していることがわかっています。つまり、一匹では歯が立たない相手でも、仲間が集まったところで一斉に攻撃を仕掛ければ、大きな相手でも倒すことが出来るという、バクテリアの考え出した知恵なのです」

どこが非科学的かわかりますか?
科学とはある現象の原因を究明する学問と言えますが、その発見した原因に対して、我々が何らかの目的や理由をくっつけてはいけないのです。この文章の場合、「一匹では歯が立たない相手でも、仲間が集まったところで一斉に攻撃を仕掛ければ、大きな相手でも倒すことが出来るという、バクテリアの考え出した知恵なのです」というところが間違いです。
生物学者たちが好んで使う「〜が考え出した知恵」や、「〜が考え出した戦略」などという言葉もみんな、人間の感情や価値観が付け足してしまったアイデア、もしくは物語に過ぎません。
物語を付け足してしまった瞬間、それまで科学が、個人的感情や価値観や先入観を極力排除して血のにじむような努力(根気のいる実験や観察)によって積み上げてきた全てのことが水の泡となって神話の時代に逆戻りしてしまいます。その瞬間、「そう思っていたほうが、都合が良い」という欺瞞観念に科学を利用しただけの「事実の歪曲」に崩れてしまうのです。
人類は、この悪い習慣から抜け出さない限りいつまで経っても「相互対立を孕んで統合できないことは明らか」です。

それでは、このバクテリアのふるまいを、科学的視点で見たらどのように理解できるでしょうか?

(『本当の科学の視点で事実を共認しない限り、世界は一つになれないA』につづく)
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