2772 ・社会統合 ・男と女・性・婚姻 ・幼・少・青・壮・老 ・認識論 ・猿と人類 ・市場時代 
自我ではなく、共認こそ原点である
四方勢至 老年 京都 編集 01/04/04 PM11
私たちは実現論において、不全感を揚棄する為の期待・応合の充足回路を基礎として形成された課題共認や役割共認や規範共認あるいは評価共認etcの共認こそが、各個体の意識を統合すると同時に集団を統合していることを明らかにしました。

また、自我が規範や評価etcの共認に対する否定を源泉として始めて成立する共認機能の副産物であり、しかも否定に基づいているが故に共認(充足)を破壊し本源集団を破壊してゆく敵対物(共認の敵対物)であることも明らかにしました。

このことは、人類における人格形成の過程にも、そのまま当て嵌めることができます。実際、人格の形成は、母子や仲間との親和充足体験=期待・応合回路の形成をもって始まります。そして、期待・応合回路が発達してゆくにつれて、その先に課題共認や役割共認や規範共認あるいは評価共認etcの共認回路が形成されてゆきます。それに伴って、周りのそれら様々な共認内容に対する否定を源泉とする自我回路が形成され始めるのです。共認の敵対物たる自我は、その後しばしば凶暴な他者否定・自己正当化の相貌を露わにします。それに対して、親和共認や役割共認や規範共認etcの共認回路が自我回路を制御(一部は封印)することによって、人格は成長してゆきます。

ところが、近代人は人格の形成を「自我の確立」と呼び、全ての学校で「自我の確立」を善とする染脳教育が行われています。これは、事実に反するとんでもない誤りであり、霊長類の命綱たる共認機能に対する極めて犯罪的な破壊行為でしょう。事実は、『共認の確立』こそが、あるいは象徴的に云えば『規範(意識)の確立』こそが、人格の形成なのであって、もし共認を捨象して自我だけを確立させれば(自我は決して確立など出来ませんが)、分裂病その他に発狂して終うに違いありません。(現代人が多かれ少なかれ狂っているのも、その様な自我思想や自我教育の所為ではないでしょうか。)

以上、ここまでの議論によって、「自我こそ原点である(or意識の統合者である)」とする個人主義(ひいては近代思想)の根幹概念が、事実に反する迷信であることを明らかにし、同時に、『共認こそ原点であり、意識の統合者である』ことを明らかにしてきました。これをもって、西欧個人主義は、その理論的根拠を全面的に失ったことになると、私は考えています。(「自我こそ原点である」と主張する人たちは、それが原点であるという根拠を確かな事実に基づいて提示して頂きたいと思います。)
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