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超国家・超市場論30 実現の論理
四方勢至 老年 京都 編集 02/07/10 AM03
考えてみれば、本能生物の世界では環境(=外圧)が変わる時、その新たな環境に適応すべく生み出された最先端機能の下に旧機能が収束して、全体が再統合される。同様に、共認動物の世界でも、生存圧力から同類圧力へと外圧(or状況)が変わる時、新しい状況に適応すべく生み出された最先端の意識(主に欠乏)の下に古い意識(主に欠乏)が収束して、全体が再統合される。
夫々の意識(主に欠乏)が作り出す闘争についても同様で、新しい闘争の下に古い闘争が先端収束して、全体が再統合される。従って、人々の意識(欠乏)と闘争が作り出す『現実』も同様であって、最先端の新しい現実の下に古い現実が収束して、全体が再統合される。

その際、最先端の機能or意識or闘争は、常に古い機能or意識or闘争によって構成された古い現実世界の真っ只中に登場する。それが、真に最先端の適応機能(or意識)ならば、当然、古い機能(or意識)を自らの下に収束させてゆく。むしろ、最先端の適応機能(or意識)は、古い現実世界の真っ只中で古い機能群(or意識群)を収束させてゆくことによってのみ、それが最先端機能であることを証明してゆくのである。

生存圧力から同類圧力への大転換期である現在も、同様である。古い物的欠乏や解脱欠乏とそれらが作り出した私権闘争の全ては、新しい外向収束に基づく最先端の認識欠乏とそれが作り出す認識闘争の下に収束して、全体が統合される筈である。その際、新しい認識欠乏⇒認識闘争(=評価競争)は、当然、古い私権欠乏⇒私権闘争(=お金の獲得競争)の世界の真っ只中に姿を現す。そして、その古い現実世界の真っ只中で古い私権欠乏⇒私権闘争を自らの下に収束させてゆくことによってのみ、自らが最先端の意識(主に欠乏)であり闘争であることを証明してゆく。

即ち、人々の最先端の認識欠乏に応える『認識形成の場』(それは社会的な共認闘争の主体となる)は、古い私権闘争の場=市場(と国家)の真っ只中に姿を現す。おそらく初めは、そんな物(=認識形成サイト)が商品にもなるとは、誰も思わないだろう。だが、我々の現実認識(構造認識や状況認識)が正しければ、人々の認識欠乏が顕在化するのは時間の問題である。それは、はじめの答え(に近い認識)と認識形成の場さえ与えられれば、一気に顕在化する。
そしていったん認識欠乏が顕在化するや否や、それは最先端の欠乏となり、それに応える『認識形成の場』は最先端の活力を生み出す溶鉱炉となる。そして、人々の基底的な『判断の土俵』や『人数』や『投稿資格』などの評価指標を媒介として、お金をはじめとする私権闘争の一切をその場の下に収束させ、全てを統合してゆく。

これが、実現の論理である。
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