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“勉強”は何故必要なの?
西知子 26 京都 秘書 02/11/14 PM05
「勉強は何故必要なの?」という子供たちの問いかけの本質は、「勉強が出来る事≒学歴は必要なの?」というところにあるんじゃないでしょうか。
だから例えば、その知識そのものがどう現実に使えるかとか、これを解くことで何が得られるのかとか、そんなことを確認したいわけじゃなくって、ただ、「それが何故、(学校での)勉強でなければならないのか」「何故、(学校での)勉強からは逃げちゃいけないのか」が、知りたいんだと思います。

勉強に限らず、必要のないものは、なくすことが出来るし変えることも出来る。今ならそれは、みんなが望んでいること(普遍期待)でもある。
でも、みんなが期待しているのはあくまでも新しい統合軸を形成することなんだから、たまたま自分だけ上手くその課題から逃れてもそれは自己満足程度にしかならないし、ましてそれ(学歴社会という現実)を否定するだけでは他者否定の自我が形成されるだけのような気がする。

私は子供の頃、「それを必要と考えている人がいる(いわゆる、学校の成績や学歴を基準にする現実が残っている)限りは、まあとりあえず必要なんだろう」くらいに漠然と感じてました。
そしてそれが、学歴に変わる統合軸がない限り当然で(msg:40274)、夫々が自分に都合よいものを主張し合うだけじゃなく社会的に共通した統合指標=評価軸が形成できないとそれに代る事はできないという事(msg:43525)なんだと、るいネットで初めて明確に気付くことが出来ました。【統合の論理、実現の論理】

又、「勉強できなくても何かできる人は別に勉強を否定なんてしていないなぁ、否定すること自体に意味はないんだなぁ」とは思っていましたが、これも、勉強が第一義じゃなくなっていること(←事実認識)と、勉強を否定すること(←現実否定)とは全然違う構造なんだと、構造認識を知ってようやくすっきりしました。【観念パラダイムの逆転】

【統合の論理】や【観念パラダイムの逆転】っていくつかの認識の中でも難しい方だと思い込んでいたけど、もしかして子供ほど実感しやすい認識なんじゃないかなと思いました。
だって、子供たちの学歴社会に対する問いかけは、まさに私権統合の衰弱からくる最も本質な問いであり、共認社会で生きてゆく場合、現実逃避・他者否定の自我が致命傷になることも、仲間圧力の中で生きてきた子供たちは身をもって知っているんだから。
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