471 | ・男と女・性・婚姻 | ||||||
自我が邪魔をして心を開けないセックス | |||||||
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>自我を孕んで心を開けないセックスの内容と弊害が分かり難かったのでもう少し説明して頂きたいです。 端的には「心を開けない」=「イケない」ということです。 「心を開く=イク」のは「自分を出す」ことではなく「自分を無くす」ことです。 自己と対象(相手)の境界を取り払って融合してはじめて、世界=中身が拡がります。(“自分”にしがみつけばつくほど、中身が無くなってゆくのはその為です。) そこでは、不安や警戒心は邪魔になります。 不安は自我を生み、自我は己を守ろう(正当化しよう)とし、己を守ろうとする自我は警戒心(他者否定)を生み出します。 セックスは、プラスの心と心の交感です。それは抽象的な話ではなく、本当に、期待=応望と肯定視の心の交感が出来れば、一切の肉体的接触も無く「イク」ことができます。 けれど、何であれマイナス感情があれば、充足(快感)度は著しく低下します。 例えば日常的な人間関係でも、不安や警戒心が強い時は、頭で計算したり何らかの方法論にすがったりしますよね。その状態ではとても心から愉しめてはいないハズです。 しかも、「愉しむ」というのは「私は愉しんでいるんだ」と思い込む事でその気になることも可能ですが、感覚についてはそうはいきません。 更にセックスの場合は、表面だけでなく日常には顕在化しない奥の意識(無自覚の不安や否定)まで影響しています。 心を開けないセックスとは、ギクシャクした人間関係の凝縮です。 しかも、どんなに「これでいいんだ」と思い込もうとしても身体は正直で、「これではだめなんだ」ということを突きつけられるから、辛いんでしょう。 一番誤魔化しのきかない領域だからこそ、いっそのこと性自体を軽視したり嫌悪したりして、自己を正当化しようとするのではないでしょうか。 |
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