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不全捨象の自己攻撃から脱却
辻一洋 39 北海道 企画 04/12/19 AM03
最近、ささいな失敗ですぐに自己攻撃する若者が多い。

先日、露店に立ち寄った女性もそのようなタイプであった。
仕事でも遊びでも周りの期待に応えることが嬉しく、一生懸命打ち込むのだが、時々ひどく息苦しくなる。と、打ち明けてきた。たとえ彼氏や家族であっても、長時間、誰かといると煩わしくなり一人になりたくなるようだ。
期待が重荷になり、失敗したり、周りの迷惑になるのではないかという不安が常につきまとっているらしい。

彼女は厳しい母親のしつけに対して、必死に応えてきた、いわゆる優等生の部類。いつも、叱られないようにびくびくしていた。

母親は、冷え切った夫婦関係で本当は離婚したかったようで、不安定な状況で十分な親和充足を与えられなかったようだ。
さらに、夫婦と言えども充足できる関係ではない、といった男女関係へのあきらめ=不可能視と、男女同権発の「女も自立」といった支配観念から、娘を「独り」で生きていけるように厳しく育てたようだ。

また、いい子期待(○○しなければダメ)といった本源風規範観念は、「できて当然」という充足感の乏しい期待であり、専ら応えられなかった時のマイナスだけが刻印されていく。そうして自己攻撃を続けた結果、「自分はダメだ」といったダメ観念を強く形成させる。

充足感の乏しさは母子関係の親和不足だけが原因ではない。
期待とは本来、期待されるだけでも共認充足と活力を生じさせる。
だが、彼女の母親がそうであるように、親や世間から発せられる期待は大半が私権期待である。私権そのものが衰弱した以上、たとえ私権期待に応えたとしても、ほんのわずかな充足しかもたらさず、もはや活力になりえない。

いまや最大の課題=期待は収束不全であるが、このような母親や教師などの大人たちに同化すればするほど、収束不全発のみんな期待が看取できなくなり、自分とみんなの断層が大きくなる。

さらに問題なのは、ダメ観念は自己防衛の単なる逃避の観念であり、決して対象に向かない構造をもっている点にある。ダメ観念をはじめとした自分観念は収束不全発の統合欠乏に対し、みんなに背を向けた内向きの統合ベクトルを孕んでいるのである。

したがって、彼女たち自分観念派ほど、「自分からみんなへ」の転換が強く求められているのであり、だからこそ感謝のトレーニングの必要性が高い。

1.まず頭が心、体に謝罪
自分を否定することなく肯定して、初めて自己攻撃〜自分観念を払拭することができる。
2.相手に
不安や未熟ゆえに多少誤っていた点もあるが、期待をかけ、育ててくれた親に。
自分観念に囚われた本人でも、受け入れている、支えあっている仲間に感謝と謝罪。

それらの現実を客観的に事実として捉えることで、自分観念は突破でき、みんな期待に応えられるようになる。
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