今日、「29922 市場が認識闘争、評価闘争の場へ収束する 」っていう文章を読みました。
>現在、お金はもはや第ニ義的な価値しかもたず、認識と評価をめぐる競争が最大の活力源となりつつありますが、今度も市場が認識、評価闘争へと収束していくはずです。<
これまでは「市場」っていう場は第一義的には「お金儲けの場」であって、はったり・ごまかしあり、とにかく安く買って高く売りつける、つまりお金をかせぐ(豊かになる)ことが活力源だった。・・・私権社会の活力源。
ところが、今やお金を稼ぐこと自体が活力の人はほとんどいなくって、それよりも喜んでもらいたいとか評価されたいということ自体が活力源。・・・もはや私権追求は活力にならない。
てことは、株などの市場は
・「投資してお金儲け」という機能よりも
・「会社を(社会的に)評価する」という機能
のほうがメインになるはず。
そのことと最近のM&A騒ぎ(村上ファンドがやっているようにハッタリでもなんでもかまして世間の注目を集め、株価が上がったら売り抜ける金儲けの仕方。私権闘争そのもの)はどうつながってくるんだろう?っていうことをきいてみました。
普通のサラリーマンや主婦とか、個人で株とか投資をやってる人も多くなっているようだし、大多数はまさに評価機能のほうに移る可能性大だけど(もう移ってる?)、私権をあくどく追求したい人はまだ一部残っている。そのせいで評価は歪んでしまうので、市場が本当に評価の場になるためには、一部の私権追求派によって評価が歪まないための何らかの仕組みが必要なのだそう。
なるほど〜。
新会社法はそういう流れに逆行してるのかも。 |
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