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加藤俊治
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 ほめて育てるか、叱って育てるか

○昔の共同体が残っていた時代はほめて育てていたのか、叱って育てていたのか。
昔の多くの家庭は子沢山、母親は祖父母や父親の世話のみならず、従役もこなし子供達に関わる時間は、現在に比べれば極めて少なかったのではないのでしょうか。一方、子供の方もその忙しい母親を見ているため、兄弟で子守を分担し、家事を分担し、ある年齢になれば農作業にも駆り出されていたと考えられます。
役割を与えられる。与えられた当初は、出来たら褒められるでしょうが、ある時期(習熟した段階)を過ぎると、役割が果たさなかった場合は叱られていたのではないでしょうか。家庭でも、共同体でも。
共同体が残存していた時代においては、子供に対する「ほめる」、「叱る」は役割規範を基準に判断していたと考えられます。言い換えれば、外圧⇒課題⇒役割⇒規範⇒評価はセットで機能していたと考えられます。

○今の親は子供をほめずに叱る一辺倒なのか。
現在の家庭には、外圧がない、課題がない、だから役割がない、よって規範もない。とすれば何を目安に、褒めたり、叱ったりしているのか。恐らく、母親のその時々の感情(母親の都合=自我)では無いかと思います。だから一貫性もなく、出来て当たり前という母親の都合から見れば、褒めるより叱るが圧倒的に多くなっているのではないのでないでしょうか。

○福岡県の町でなぜ、「ほめる」を導入しようとしたのか。なぜ、「叱る」でなかったのか。
社会から貧困が消滅し、私権規範が衰弱した現在、家庭、学校には、外圧がない、課題がない、だから役割がない、よって規範もない、何を基準にして「ほめる」、「叱る」なのかが見えません。「叱って」育て、うまく行っていない現状を捉え、短絡的に「ほめる」に転換しようとしているように思います。


外圧共認⇒課題共認⇒役割共認⇒規範共認⇒評価共認の各共認の関係から考えて、「ほめる」、「叱る」の根底に存在する規範を再生しない限り=生存圧力に変わる新たな外圧を観念機能で捉えない限り、本来の子育てシステムも再生しないように思います。
 
12/6 5:50 │ コメント(2) │ トラックバック(0)
 

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田野さん コメントありがとう

>人を育てるのに「ほめる」方がいいのか「しかる」方がいいのかという議論はよく聞きますが、その手の議論は中身を伴わない方法論の空論にすぎず、課題共認や評価共認すらできていれば「ほめる」「しかる」は表裏のことにすぎないと思います。要するに共認する行為としてはどちらでもいいことなのであり、どちらも必要な事なのだと思うのです。本来、ほめてもしかっても共認充足はできるはずなのです。

原則的には、私も同感です。

集団内の仲間共認規範、集団間のみんな共認規範にしろ、規範の中に期待が内在されていると同時に共認されている=常識化している可能性が高いと考えられます。であるが故に、規範に沿った行動を行なっても「ほめる」はあまり発現せず(ただし、幼児等の規範習得過程は除く)、規範を破ったときに「叱る」が発現する頻度が高くなると考えられます。

現実的にも日本においては、「ほめる」・「叱る」のどちらが良いかは別にして、「叱る」が中心の指導がなされており、「叱る」=「してはいけない」と指導することによって主体がみんなにあることを教える。西洋は「ほめる」=「これをやりなさい」を指導し、主体は個人にあることを教えようとする、のとは明らかに違いが見られます。

>外圧共認⇒課題共認⇒役割共認⇒規範共認⇒評価共認の各共認の関係から考えて、「ほめる」、「叱る」の根底に存在する規範を再生しない限り=生存圧力に変わる新たな外圧を観念機能で捉えない限り、本来の子育てシステムも再生しないように思います。

規範が再生されれば、恐らく「主体がみんなにあることを教える」指導方法、「叱る」=「してはいけない」が、基本になるように思います。

 
Posted by 加藤俊治 2005年6月2日 6:11
 

加藤様、久しぶりです。ほめる、しかるの投稿興味深く読ませていただきました。

人を育てるのに「ほめる」方がいいのか「しかる」方がいいのかという議論はよく聞きますが、その手の議論は中身を伴わない方法論の空論にすぎず、課題共認や評価共認すらできていれば「ほめる」「しかる」は表裏のことにすぎないと思います。要するに共認する行為としてはどちらでもいいことなのであり、どちらも必要な事なのだと思うのです。本来、ほめてもしかっても共認充足はできるはずなのです。

むしろ一番よくないのは意識的に「ほめようとすること」、「しかろうとすること」であり、本来それらの行為は規範共認されている無意識の中から発せられるものです。

又、逆に誰しも経験があると思いますが相手がほめようとして言っているのか本心からほめているのかは言っている当人よりずっと相手の方がよくわかります。

無意識といえば先日、神戸の駅で電車の窓からこんな風景を目撃しました。
発車のベルが鳴る中、子供が電車に近づいて触ろうとした瞬間、少し離れたところにいた父親がすっ飛んできて、子供が地面に体を打つほどひどく叩きました。すぐに子供は火がついたように泣き始めます。走り出す車窓から、叱っている必死の親の顔を見てスッと電気が走ったような感じがしました。
たぶんこの子供は今日の事を父親の存在と共に記憶の奥に留める事でしょう。

まさに加藤さんの言うように
>「ほめる」、「叱る」の根底に存在する規範を再生しない限り=生存圧力に変わる新たな外圧を観念機能で捉えない限り、本来の子育てシステムも再生しないように思います。

「ほめる」にも「しかる」にもこの父親のように無意識に手がでるくらい強い共認圧力を作り出す事が求められています。

 
Posted by 田野 健 2005年6月2日 0:08

 

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