24993 「共同体では、子供はみんなで育てる」を拝見させて頂いて
投稿されている風習が現在でも残っているのかといった疑問と母親たちの子育てが非常に興味深かったのでネットで調べてみました。江馬三枝子氏が昭和18年に出版された「飛騨の女たち」のことだと思われます。(書籍は読んでいないので違ったらごめんなさい)
>同書によると、大正時代の家庭は自給自足で外から買ったのは、塩・鉄分・油ぐらいで、醤油、味噌も手作り、着るものも自家製で糸から生地を作り、染色して一人、一人の着る物を仕立てていた。ご飯を炊くのにも水汲みやかまどに火を燃やすことから始めなければならない。その前に玄米を精製する必要もあるが、米は年に何回かの特別な日の食べ物で、稗や粟が中心の食生活。
>しかも、東北や日本海側のように冬の長い地域では、一家の生活は主婦の切り盛りのうまさにかかっていた。高山の赤カブ漬けや信州の野沢菜漬けなどは冬を乗り切るための技術として、女性たちに受け継がれてきたものだ。
さらに、母親たちは、その上に父親や祖父母の身の回りの世話、子供の世話や田畑の男の手助けをも役割分担していたものと思われます。
投稿を読ませて頂きながら、
>飛騨白川郷の大家族の家々では、一軒の家の縁側に、エズコ、エズメなどと呼ばれる藁でつくった入れ物が六つも七つも並べてあり、その容器に赤ん坊たちを入れて、母親たちは田畑に出かけた。赤ん坊のほうは母親の帰りを待っている。
ここに登場する大家族の母親たちとは全て親族なのだろうか、多分違うな子供たちが学校や農作業の手伝いをしているので、赤ん坊の子守をしてもらえないから、縁側にエンギの子守の方法が考えだされたのだろう。学校や農作業が終われば、子供たちが母親に代わって、子守をしていたのだろうな。
>仕事を終えて家に帰ってきた母親は、まず泣いている赤ん坊に乳を飲ませる。それは誰の子でも差し支えない。その赤ん坊は満腹して泣きやみ、まだ乳が出る場合には自分の子に飲ませる。だが、前の子に充分飲ませるために、自分の子が飲み足りないことがある。すると次にやってきた母親に自分の子供を渡して、乳を飲ませてくれと頼み、また働きに出かけていく、といったふうであった。
母親たちが向かった田畑というのは、共同で農作業を行っているのだろう。そこでは、子供、母親を含む女達、男達、おじさんやおばあさんも一緒に一生懸命農作業に取り組んでいる。赤ん坊を縁側に置いているのは、田畑からエンギが見て取れる、泣き声が聞こえる、近くにある田畑なのかな。
母親たちは、子供の泣き声によって、おっぱいが欲しいのか、おしめを変えて欲しいのか等を聞き分けて戻ってきているのだろか、おっぱいをやる時間を決めて戻ってきているのか、休憩時間か、みんなの昼ごはんを作りに帰ってきているかなあ。
みんながそれぞれの役割を果たしている。
このようなことを考えていると汗まみれ、泥まみれで忙しく動き回る母親の充足した表情とともに、田畑で働く子供・男、祖父母たちの表情とそれらの人々を取り囲む情景までもが浮かんできます。
この飛騨白川郷のこの慣習は、過去は日本のいたるところで見られた可能性が高い。そこには自我や私権といったものは微塵も感じられず、「子育て」も「農作業」も当然のごとくみんな課題(生存圧力を突破するために外圧・課題・役割・規範・評価共認がなされていた)として捉えており、それが子供にとっても、母親達にとっても、みんな=共同体にとっても、最も充足できる共認内容であったことを教えてくれます。母親達が安心して子育てや日常生活を送れる共認空間は、母親達(=女性)に課せられた役割分担が非常に高くても、それを乗り越えるだけのたくましさ=活力が漲っていることを感じさせてくれます。 |
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Posted by シャネルコピー
2015年11月15日 11:30
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